語り(?)とイラ。


THE LAST SON

Boe le henio       理解せねばならぬ
F si car a thad yn  今や彼は二人の息子の義務をなす
Ane ah a phen     彼自身の為に、対なる人の
I u athlitha       帰らぬ人の為に

原文はトールキン作で、映画ではミナス・ティリスのシーンで流れていたものです。
流れていた・・・と思うのです。これが兄上の都か~と見惚れて聞き取れませんでしたけども。
この詩を見て、兄上の存在の重要性を再認識していただければ幸い。←結局布教したいだけか



■ボロミア

「我々は我が民の血をもってこの地を守ってきた」
自負と自信と使命感とに裏付けされた強さは、葛藤の上に生まれた。

期待は重荷である事を誰よりも知っていた人。
アラゴルンに王として帰還を求める事は、種族の未来を背負わせる事だと知っていた。
それでも、己がどれだけ望んでも不可能な事を達成できる人間がそこにいるなら、願いを託すのはごく当然な事。                 
できる事をしないのは罪だと弾じる姿を、身勝手な言い分だとは思わない。
重荷を負うこの人の口から語られたその言葉は、余りに重い。

兄上

■ファラミア

愛とは対価を求めるものではない。
忠誠によって得られる愛は、彼が本来受けるべき愛ではない。

優遇される兄を疎ましく思う事もなく、畏敬と憧憬をもって見つめていた弟。
公開版だけでは、兄弟の仲睦まじさが判らないのです。
大将が兄上を慕ってる感じが全く伝わらないばかりか、”この人、兄貴の事あんまりよく思ってないんだろうな”と誤解されそうな勢いです。

裂け谷へ出立のシーン、兄は弟に「今日という日を忘れるな」とだけ。
何も言えずに見送った大将、別れの言葉もない代わりに再会を願う言葉もない。
父親以上に、兄の死を悔やんでいたのはこの人だと思うのです。

大将

■アラゴルン

長い時と多くの喪失を重ねて、それでもこの先、王としてのアラゴルンの道は果てなく長い。
先に逝った者が残した未来を継いで、人は前に進む。
死者への賛歌は、死者の権利であり、生者の義務でもある。

原作の台詞「塔の見張りは彼の姿を探すだろう。だが彼はどこからも帰りはしない」も重いのですが、映画の「民は待ち続けるだろう、帰らぬ君を」も相当にきました。
なんというか、ずっしりと。

エレ王

■デネソール候

亡くす辛さを味わうくらいなら、いっそ愛さなければいい。
確証のないものに希望を抱いて待つくらいなら、王は要らない。
ヌメノールの血を引く者が、人間の世界で長く生きるという事の意味。
人はどれだけの喪失に耐えられるのだろう。
どれだけの喪失を重ねると、人は壊れてしまうのだろう。

『帰還』サントラ封入の切手型ステッカーのデネソール候のカットに、僅かに覗く厳格さ・冷徹さ以外のものを見た気がします。
優しさとか、温かみとか、そんな人間的なものです。
フィンドゥイラスが死ぬ前は、息子二人とも可愛がっていたんだろうな、と。
しかしSEEのオスギリアス奪回シーンを見てると、微妙な感じです。
兄上は父親を余り好きではない気がしてならないんですが・・・。



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